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凛とその他もろもろの作曲と編曲とKeyboardの一光のBlog
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まぁ、日々生きてるといろんな物事と向き合っていくと思うんですけど、

この「物事と向き合う」ということはとても大事なことだと思います。


というのは、なんでも、深く向き合えば向き合うほど、より、色んなものが見えてくるし、究極のところ、世の中の真理みたいのがみえてくるんじゃないかなーって。

お!ちょっと、なんか宗教的だぞw
ま、どこにも入信してないですけどw



まぁ、「向き合う」っていうと重々しいけど、たとえば、歩いてて目にする景色とかも、「向き合ってる」ということなのですよ。

たとえば、いつもみる桜の木を

「きれいだなぁ」
で終わるのか、

「奇麗だけど、雨が降ったら散ってしまうから、儚いなぁ」
と考えるのか、

「奇麗さだけでなく、その儚さがあるからこそ、美しいのだろうか」
となるのか、


これだけでも、ちょっとした一つの美しさのあり方を考えることができるし、こういう美しさは、景色じゃないものにもあり得るし、いろいろ応用が利いたりするわけです。


まぁ、これは、奇麗な例でしたけど、もちろん
嫌なこと、めんどくさいこと、ストレスのたまるもの、
とかそういうものにも、然りなわけです。


まぁ、そういうのって、普通はあまり、体をどっしりと構えて向き合いたくないものですけど、逆に、そういう物事こそ、裏に重要な真理が隠れていたりすると思うのです。


というわけで、世の中、向き合いたくないニュースが多くなってきてますけど、だからこそ、向き合っていくべきだったりするんじゃないかなぁと思ったのでした。



…永六輔のラジオみたい(笑)
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最近思うんですけど、ホント、世の中にある情報って多くなりましたよね。

ちょっと前までは中身はそんなにない、トピックのようなものが多かった気がするんだけど、
今は違って、入り口から入ったら、中もすごい作り込まれてる情報が多くなったなぁと。


前は斜め読み的な情報収集ができたんだけど、さすがに作り込まれた情報には、ちゃんと腰を据えて向かい合わないと本質が見えてこないような。

別の観点からいえば、腰を据えて得たくなるような情報作りが増えてきたという。

まぁ、数ある中から、中身を見てもらわないといけない訳ですから当たり前なのかもしれないですけども。


なんかこれって、最近の音楽でも同じような気がするんですよね。

インディーズとメジャーの垣根がなくなって、ピンからキリまで音源自体が急激に誰でも聞けるようになって、でも、その中から選ばれるのは、いかにちゃんと作り込まれているか、心がこもっているかとかだったりして。

わかりやすい情報の提示の仕方が

ちゃんと入り口があって
概要が説明してあって
詳しい内容があって
次への導入がある

だとしたら、なんか音楽もにてるなぁと思ったのでした。



…って書いたけど、単に最近情報を集める時間がかかるようになったから、それのグチでした(笑)
「音楽は結局ビジネスの名の下に成り立っていて、中身なんて表現者の意志なんて二の次なんだ!」

と嘆く人がいるとおもいます。


僕はそう思わないんですよね。


音楽って、基本的には人ために作ったり、演奏したり、するわけじゃないですか。

で、それが人の為になるものなら、少なからず、Liveを見に来る人がいたり、CDを買う人がいると思うんですよ。

ということは、より人々のニーズを満たせば満たすほど、同時にビジネスも成り立つんじゃないかなと思うんです。


ただ、ありがちなのが、「人のため」が「お金のため」になるってことです。

これは確かに最初のセリフが出てきてしまう可能性があります。

ただ、それは、オトナの都合上「めんどくさいからそうする」「一人ではどうしようもないからそうする」ってことなんだと思います。

やっぱり、人の為に何かをやりきるのってかなりエネルギーいりますからね。


でも、音楽をやる上で、そこはやっぱり妥協してほしくない点です。


まぁ、とにかく、いい音楽には、作り主が望まなくても、お金が発生してしまうんじゃないか?という話でした。
最近、新しい物を求める傾向にあります。
なんか、新しいものってなんかワクワクするじゃないですか。
元気になるような気もするし。

あと、新しいものって、少なからず、そのときの世の中のニーズに影響されてたりするから、ある意味、リアルタイムに社会のフラストレーションを解消する機能があるんじゃないかって思ったりして。

そう思うと、やっぱり新しいものを吸収するのって、身体にいいんじゃないかと。
同時に新しいものを作れたら嬉しいですしね。

とかいいながら、新しいものを意識すると、昔より、新しいものの波長というか、スタイルがめまぐるしく変わってることに気づきました。
その辺は、昔に比べて、情報の「伝達速度の高速化・伝達方法の多様化」が、まさに影響しているからなんだろうなぁと感じたりしたのでした。
欧米か!!

いや、言いたかっただけです。

温暖化、やっぱり結構深刻みたいです。今日ニュースシテーションで特集を組んでて、レポーターの方がアイスランドに行ってたんですが、氷河が、ガンガン解けてます。
本当は50年前は地表や海水面から200mの高さまであったらしいものが、今や、飛ぶ鳥を落とす勢いで溶けてます。

夏場にでっかい氷を放置して夕方見たときに

「あ、まだ溶けきってないね」

…ってあの感覚!!

あ、わかりずらいねこの例え。

つまり、まだ残ってるけど、だいぶ溶けたねっていう。


なんか氷河がもっと盛大に溶け出すと、世界を循環してる海流の流れ止まって、地球の熱の循環も止まって(大気中は循環するはず)、北の方は人間が住めない寒さになるっぽいです。

温暖化って、海水面上昇くらいにしか思ってない人が多いと思うんですけど、気候のせいで住めない地域が増えるとなると、人口密度は一気に急上昇ですよね。

ハリウッド的には、このあと、住む地を巡って争いがおこって、第三次なんとかになって、核使っちゃって、世界は壊滅しちゃって、
その後ジャンプ的には、色々あって、メタリカーナでダークシュナイダーが覚醒する(ex.BASTARD!)ってのが理想だなー









ところで、今年は噂によると、

「ポイント オブ ノー リターン」

っていう年らしくて、これは何かというと、

「悪化する地球環境に対して、今年何かしら対策を打ち出さないと、地球の生物の100万種族が滅びるのが決定」

ていう
「取り返しのつかないポイント」
という意味のものです。
まぁ、今の所、際立って地球規模での具体的な行動は無いですから(議論は一杯されてますけど)、多分100万種属がいなくなるんでしょう。



まぁでもねぇ、前から思うんですけど、どんな生物も寿命はあるし、絶滅もすれば新しく生まれる種もあるだろし、自然体系だって地球の歴史上ずっと変わってきた訳ですよ。

そう考えると、温暖化で地球の生態系が変わって、さらに人間が滅びても、それは今まで通り、地球が変化している過程の一つだと思うんですよね。自然な流れと言うか。

「温暖化を防ごう!」とか「自然を保護しよう!」とかのメッセージとかって、人間の本能の「種族の繁栄」から由来するものだと思うんですけど、それは理解できるとして、結局は人間のエゴなんじゃないかなぁと。

まぁ、平たく言えば、全ての善い悪いの事柄は人間が決めたものなので、地球全体の生態系の流れからしたら、全く気にされてないと(多少語弊がありますが)。
だってゴキブリさんは、人間が滅びても気にしませんからね。人間によって自分たちが滅びそうになったら、本能の危機感で行動を起こすかもしれませんけど。

とかなんとか考えると、生に対する欲求もなくなってくるんですが、かといってわざわざ死にたいわけでもないので、結局は、皆、日々の人生を好きなように生きたらいいんじゃないかなと思います。
環境問題に取り組んで多少なりとも変化を遅らせて満足ならそれがいいし、「うちは好きなように二酸化炭素排出します!」って国があるなら仕方ないし。

まぁ、もちろん個人的に、本能的には環境保護とかした方がいいと思いますけどね。
でもそれも結局人間のエゴなので…

こんなことをいうと、いつも「仙人だね」とか「悟りを開いたのかい?」といわれます。


…って大丈夫?!この文面?!(笑)
でも、これってよくある考えでしょ?ι

一応この考えをふまえた上で、
「なるべく多くの人が幸福な時間をより多く感じて人生を全うできるといいんじゃないだろうか?」
ってなって、結局こないだの
「最大多数の最大幸福」の考え方にいくんです。






ってのは全部…








ウソぷー
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